佐々井秀嶺師が発見した仏教遺跡

シルプール遺跡

ティーヴァラディーヴァ・ビハーラ
ティーヴァラディーヴァ・ビハーラ

チャティスガル州の州都ライプールから東に50km、マハーナディ河南岸にある古代都市遺跡。

紀元4世紀ごろから10世紀にかけて、仏教寺院やヒンズー寺院などが混在する宗教都市として栄えた。紀元6世紀に玄奘三蔵が訪れた南憍薩羅国(ダクシナーコーサラ国)の都城とはここであると言われている。

 

19世紀後半より様々な遺物、仏像等が出土して遺跡が認められていた。

1954~56年に本格的な発掘調査が行われたが、やがて資金難で放置される状態が長く続いていた。

1990年代、シルプールを訪れた佐々井上人は、この遺跡の仏教的な重要性を認識し、仏教徒から資金を集め主要な土地を購入して、インド考古学局のA・K・シャルマ氏に依頼して発掘を行った。

2003年には、2メートルの仏陀坐像を安置する寺院跡を発見。発見者の佐々井上人の名を冠して「ササイ・マハービハーラ」(現在は、ティーヴァラデーヴァ・ビハーラに改称されている。)と名付けられた。一帯から僧坊跡、巨大な市場の跡、複数の寺院など次々と遺跡が見つかり、ナーランダ仏教大学の規模をしのぐ一大仏教都市が確認された。

 

M・P州から分離独立したばかりのチャティスガル州にとっては、州都ライプール近郊に出現したこの大遺跡をまたとない観光資源ととらえ、大きな道路を通し周辺が整備された。しかし、州政府第一党のBJPはヒンズー至上主義の立場から、シルプール遺跡をヒンズー遺跡と位置付け仏教徒の意向を無視した発掘調査を行った。

発掘主任のシャルマ氏もそれに追従し、佐々井上人と意見の相違を見ている。 佐々井上人は『龍樹と龍猛と菩提達磨の源流~』の中で、シルプールをナーガ・バラ大王(龍猛菩薩と同定)の曾孫ティーヴァラデーヴァが開いたパーンドゥ王朝後期の中心都市と推定している。

現地の仏教徒協会は、仏教遺跡としての正当な調査が行われるよう、所有する土地にお寺(アーリヤナーガールジュナ・シューレイ・ササイ・ブッダ・ビハーラ)を建立し、様々な働きかけをしている

マンセル遺跡

ナグプールから北東へ30キロの地点にあるマンセル遺跡は、佐々井上人が最も重要視している遺跡である。

すなわち南天鉄塔と目される遺構は、マンセルの小高い丘の上にある。佐々井上人が、龍樹菩薩の「南天鉄塔もまたそこにあり」という霊告に従って、ナグプール周辺を調査して、ここがそうだと確信した場所である。

1990年代から発掘調査が行われ、この丘の背後にあるマンセル・タンクという湖周辺でたくさんの遺構、遺物が発掘されている。特に大きな遺構が、湖東側の僧坊などを中心としたサイト2と、この丘のサイト3で、複雑なレンガ造りの塔の基壇や、様々な石像、蓮弁を配した装飾などが見つかっている。

マンセル遺跡は、アジャンター石窟を開鑿したサータヴァーハナ朝及び、その後デカン高原を支配したヴァーカータカ王朝などが、西紀3世紀から7世紀にかけて造営した遺跡ということであるが、後代ヒンドゥー教の影響を受けて破壊、改造され、インド考古学会の発掘でも、仏教遺跡としての適切な評価、保存がされていない。土地を所有する佐々井上人は、この状況に一旦発掘作業を中止している。

2000年以降、種智院大学の頼富本宏師に調査を依頼して、また他のインドの考古学者やナグプール大学などにも研究を促し、文字通りこの大乗仏教の一大聖地を死守している。 

 

サイト2 僧院・宮殿跡
サイト2 僧院・宮殿跡
サイト3 南天鉄塔
サイト3 南天鉄塔
龍樹山 中腹に龍樹寺
龍樹山 中腹に龍樹寺

マンセルから東へ7キロのラムテク地区に龍樹連峰と呼ばれる丘陵が連なっている。西端の最も高い岩山にはヒンズー教のラーマ寺院が建っている。ここを龍の頭頂部として腹部にあたる山脈の中央に洞窟があり、その上に龍樹寺という小さなお寺があるが、現在はヒンズー寺院となっている。佐々井上人は2010年、この麓に龍樹菩薩大寺という大きなお寺を建立した。境内にはラージギルの多宝山上で佐々井上人の枕元に現れた龍樹大菩薩の巨大な石像が立つ。台座にはその時の霊告が記され、石像上部には南天龍宮城をめざした平家の象徴である平家納経箱蓋の文様が並んでいる。マンセルや龍樹菩薩大寺の様々な構築物は、佐々井上人の思想を反映した立体曼荼羅と言える。それぞれ重要なメッセージを持ち、今後その実証をするべき者へ向けた遺戒でもある。